長男の件 ご報告

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久しぶりにブログを書く 2013年11月4日 記

9月から10月にかけて、長男が家出をし(神奈川で長女と同居して専門学校に通っていた)
大変落ち着かない日々であった。facebookで「家出人捜索協力のお願い」まで出して、多くのかたにご協力いただいたせいか、本人から連絡があり、現在は一件落着しております。

まずはご心配いただいた皆様に感謝申し上げたい。ありがとうございます。

長男の家出の原因は一言で言えば 「進路に悩んで」 ということになると思いますが、まあ巣立ちの儀式 と言ってしまうこともできるかと思います。

実際この数十日で、しっかり自分の足で立って歩き出す覚悟ができたようで、親としては一つ大きな峠を越せたかな という思いでいます。

この家出期間に、就職活動をしたようで、野宿をしたりネットカフェ泊まりをしながら会社面接に行く という離れ業で、なんとか仕事が見付かり、現在はまだ試用期間なので派遣の身分ですが東京・日本橋にある会社でソフトウエア(メール管理ソフトを提供する仕事)の開発の仕事をしています。本人いわく「いわゆるIT土方だけど、いまの僕にはこれしかできないから、まずはこの仕事をやってみる」・・・ということです。

昨日、次女の誕生日だったので日帰りだったけど信州に戻ってきました。元気そうだったのでまずは安心。

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現状問題なのは、住居。
働き始めたけれど、まだ初給料がでていないので、ネットカフェ暮らし。
当座の生活費を稼ぐため土日は単発の肉体労働系アルバイト。
これから寒さが厳しくなってくるので、キツイ日々が続きそうだ。
今回は自立したいので親からの援助はなしでがんばりたいという意思があるようなので、
見守っていきたい。

心配なのは東京での不安定な暮らし・・・田舎出身の長男には大都市暮らしの酸いも甘いも大いに体験してもらいたいと思っている。
自分自身の体験から言っても20代前半は(札幌の大学卒業後)2-3年は東京に出て、今の息子と同じような、住所不定のフリーター暮らしの経験があり(五井野正さんの近くにいたころ)、その上で、「信州での田舎暮らしをやろう」という意思が早い段階で固まったという経緯があります。

ともかく 放射能汚染やら地震やら経済の大きな変動など心配しだしたらキリはない時代なのですから、実家の役目をキッチリ果たし、万が一の天災・人災発生時にはいつでも迎え入れられる「セイフティ」でありたいと思っている。

これは同じく神奈川県で就職し働いている長女に対しても同じコトで、これまで以上にこちらの信州でのロハスな暮らしをよりたくましく育てていく という方針で長女長男の成長を見守っていきたいと思っています。

↓ さだまさし「案山子」  沁みるね~。 まっさんも歳とったなあ。
http://www.youtube.com/watch?v=5uzy-sFlhKQ

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吉川彰浩 講演会             in 大町・北安曇

吉川彰浩 講演会 in 大町・北安曇

~福島原発の事故現場は今どうなっているのか~
元・東電社員(福島原発勤務)の報告を聞く

2013年2月1-2日に、吉川彰浩さんの講演会を開催します。

吉川さんは東京電力の福島第2原発に社員として昨年6月まで勤務されていた方で、福島原発の実情及び原発作業員の方々や被災者の方々の実情を自由に発信していくため現在フリーで活動しておられます。

311大震災とそれに続く福島第一原発の事故は、発生後2年近くたち、政府からは「事故収束宣言」が出され、マスコミ報道も少なくなってきていますが、1-3号炉はいまだ崩壊した核燃料棒の状態もわからず、使用済み核燃料棒の入った4号炉の水槽も水漏れなどのトラブルをおこしながら、未だに片付いていません。
何より、日々放射性物質が放出され続けているという現状です。

大事故の現場の処理作業は生身の人間=東電社員や協力企業の現場作業員さんたちの奮闘努力で続けられています。

その現場は今いったいどこまで片付いているのでしょうか?
どうすれば、この大きな事故を片付けられるのでしょうか?

我々がこの事故に対してできることは何なんでしょうか?

といった問題について、現場の事情を大変深く理解し、その危険な現状や問題点を広く一般市民の方々に知らせたい、という元東電社員さんからの発言(告発)をお聞きする講演会です。

ぜひ ご参加ください。都合3回、座談会形式の講演会を開きます。
ご都合のつく回にご参加ください。

開催日時
<第一回>
2月1日 池田町・浄念寺  
PM 7-9時 (本堂横 大広間)
浄念寺 〒399 8601 長野県北安曇郡池田町大字池田3-4311 
      電話 0261-62-2568
      http://9199.jp/phone_page/03012194/



<第二回>
2月2日 大町市 大町温泉郷 ホテル夢の湯
PM 0:30-2:30 (昼過ぎにロビーにて開催)
〒398-0001 長野県大町市大町温泉郷 TEL: 0261-22-2611 http://www.yumenoyu.co.jp/


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<第三回>
2月2日 大町市 麻倉 
長野県大町市4095-13
PM 6:30-8:30

http://asagura.com/07_acsess_map



お問い合わせは、吉川彰浩講演会in 大町北安曇 準備会
(吉田裕一 あっとほーむ  TEL 0261-62-7786)  までどうぞ。
各会場のTELは現地で場所がわからなくなったときのために掲載しましたが、講演会の実施内容については各会場ではなく、すべてこの準備会までお問い合わせをお願いします。

会費: 各会場とも会場費・活動費カンパの目的として、500円+α程度の参加料をご支援ください。

吉川彰浩さんプロフィール

東電学園高等部(東京電力の私立高校)卒業、
1999年から2008年まで福島第一原子力発電所に勤務、
2008年から2012年6月まで福島第二原子力発電所に勤務、
吉川彰浩32歳
嫁、犬2匹といわき市に住んでいます。
出身地は茨城県です。
被災時は双葉郡浪江町に住んでいました。
今は避難生活中です。

仕事はしていません。
福島原発の実情及び原発作業員の方々や被災者の方々の実情を自由に発信していくためです。

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新しい暦が始まる

未了仮UP
自分のコトバで書いてみた。
散文だが、いまの気持ち・感想です。

原発は動かしやすそうなところから「再稼動」の指令がでるでしょうね。100万人で国会を囲むことでは動かすのは止められない。福一の事故現場、いまだに放射能だだもれ・・・・でおそらく、健康被害が実際に多発してくるだろうが、なるべくマスコミ報道しないように圧力をかけたうえで、「ダイジョウブです」の題目を唱えて知らぬ存ぜぬを繰り返すだろう。従って、住民レベルでの避難・疎開の支援しか福島の人たちをサポートする手立てが無い という状況が次の総選挙まで続くおそれがある。
事態が急変するとしたら、また大地震で他の原発がボンといくか、福一の4号炉プールが目に見える形でバッシャンと倒れるか・・・・いずれにしても大被害はさけられない惨事であると思う。
今度福一で大きなアクシデントがあっても、震災直後みたいに体を張って被害の拡大を食い止めてくれたベテ...


いまから約30年前、
大学に入る前まで、僕は原子力発電というものは人類がこの文明を維持発展させていくためには、アブナイけど欠かせない「必要悪」だと思っていた。
しかし、アメリカのスリーマイルアイランド原発事故をきっかけに、自分なりにいろいろ調べてみると、原発は「必要悪」なのではなく、「必要のない悪」だと悟った。そこから、ゲンダイ文明のいろんな問題点に気がついて・・・結局人類がこの地上で持続可能な社会を作るためには、都市に集中して住まうのではなく、可能な限り分散して自然のフトコロの中で生活を構築しない限り、根本的な解決などありえない、という結論に達した。

そして、自らそう気づいたのだから、それは実践しないと自分の人生に対してウソになる・・・そう思った。

我々の世代はノストラダムスの1999年7の月・・・・をマジに信じていた世代である。僕も「たぶんあと少しで自分の人生も世界もおわるだろうが、その前にたとえ少しでもいいから、本当に人として、持続可能な生き方を実践してみたい、それが自分の人生のテーマだ」と20歳ころにマジに思っていた。

おりしも一番年齢の近かった従兄弟・吉田昌郎さんが東工大の院を出て東電に就職し、福島第2のプラントを建設しているころで、僕は「原発の現場もみておかねば」と思って昌郎さんにつれていってもらったこともある。

当時はドイツでも「緑の党」ができ巨大科学にたよらない「ソフトエネルギーパス」などのもう一つのテクノロジー
「Alternative Technology」(略してAT)によって、人類の未来を切り開いて行こうという科学論が提唱されていた。(後年 Tシャツの印刷屋をメシの種にしているわけだが、屋号でアットホーム=AT HOMEと名乗っているのはここに由来している)

僕にしてみれば、当然社会は「ソフトエネルギーパス」の方向にある程度進んでくれるものと期待していたが、ザンネンながら日本はその方向には進まず、原発と「経済バブル」の時代に突き進んで行った。

ラン運転員たち・・・「FUKUSHIMA 50」はもう存在しない・・・

太平洋戦争のときに、あれほどまで勇猛果敢に皇国日本のために我々の先輩たちが戦ってくれたのは、昭和初期から何年もかけた軍国教育の成果があると思う。(僕は日本のために命をはって戦ってくれた当時の人たちには大いに感謝し敬っています。)これから4年間の自民党政府がやろうとするのはそういう軍国化教育だと思う。そして、治安維持法や言論の統制・・・多かれ少なかれそちらにシフトしてくるし、それは国会のまわりを100万人で囲むことでは止められないと思う。

こう「止められない」と連発で書くと悲観的になるのだが、確かにデモでは今度の政府の動きは止められないけど、天の力なら止められるかもしれない。

日本人はまだ目覚めていない。
スーパーとコンビニの棚に食料・物資が並んでいるかぎり、放射能汚染で病人が徐々に増えてきても、消費税があがって生活がだんだん苦しくなってきても、円安でガソリン食品価格が徐々に上がってきてもそれが「徐々に」であるかぎり この国民は目覚めない。

そこまでこの国民はぼけている。

目覚めるとしたら、スーパーとコンビニの棚に食料・物資が何ヶ月も無くなる状態だ。
「本当に食うものがない」となるまで日本人は目が覚めない。

すなわち、(中国などが発端となる)経済崩壊・世界的銀行の取り付け騒ぎ・・・・それこそが日本人覚醒のきっかけになると思う。

ただし、これはマジにきついし、弱者には命取りになる騒動だ。

おそらく、「天」は日本人を覚醒させるためにそこまでの揺さぶりをかけてくる。
今回、自民が圧勝したのも、彼ら議員たちを一網にあつめて、反省させるための天のハカライであろう。
いわば「神風」。
我々民衆はその「神風」に備えて具体的な物資の準備と、ともに生き抜く人の輪の構築 そして天の意を悟るためのホンモノの信を持たなくてはいけない

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『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』

さて、先週吉田昌郎さんの見舞い行ってきましたが、そのご報告。個人の健康のことであるので、あまりこと細かくレポートするのは控えさせていただくが、一部報道もされてるので、現状を簡単に書いておきます。

昨年末に食道ガンが発見されたあと(本人曰く「ステージ3」) 手術のため入院(このとき福島第一原発所長を退任)。3月にいったん退院のあと、4-5月に抗ガン治療のため再入院、6月に退院し、自宅療養をしながら再起を図っていました。7月には福島現地の集会のためにビデオメッセージを発信したり...、現場の当時の状況を本の出版により伝えるための取材に応じたりしていましたが、そのときに脳梗塞を発病し緊急入院。
現在はリハビリのための病院に転院し、回復のためにトレーニング中です。

今回見舞いにいったとき、少し話しもできましたが、まだまだ回復には時間がかかりそう・・・・でも奥さんによると「だいぶ良くなってきた」そうです。

本人も、あの事故について語り尽くしていないだろうし、何よりも事故そのものが収束していないのだから、世間に対してもいろいろ発信したい想いでいっぱいだと思います。

7月に倒れる直前に取材を受けた ノンフィクションの本が出版されています。(昌郎さんだけでなく、多くの現場最前線で戦ってくれた人たちに取材して書かれています)
門田隆将さん著 
『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発の五〇〇日』http://www.php.co.jp/news/2012/11/1128.php
です。
見舞いに行ったときこの本を一冊もらいましたが
昌郎さんが病床で言っていたのは「この本は本店の連中に、読んでもらいたい」ということ。・・・それだけ「現場はこういう状況だったんだ、本店の社員はそれを腹に据えて事故収束のために働いてくれ」という想いでいっぱいなんだと思います。
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同時に、今年3月に見舞いに行ったときに言っていたのが「これから事故収束に働けるベテランの現場作業員が(被爆により)足りなくなる。ヤクザとかが作業員の派遣にからんできたら大変になる」という趣旨の心配をしていまた。・・・・事実現状がそうなりつつありますね。

本人が健康なら、もっと前面にでて色々語ってくれるのだろうと思いますが、現時点ではこの本が一番現場の状況をリアルに伝えてくれていると思うので、是非読んでみてください。

見舞いからの帰路高速バスの中で一気に読みました。
政府事故調査委員会の調査報告書は事実をかなり忠実に調べて書かれていますが、このノンフィクションは政府事故調が書き表せなかった「現場の叫び」を再現してくれています。

あの原発事故は本当に最悪に近い現状ですが、それでもどん底のどん底に落ちる1歩手前で食い止めたのは、昌郎さんはじめ現場で戦ってくれた皆さんの機転と努力のおかげであるとつくづく判りました。
僕がいう「どん底のどん底」というのは、激しい核爆発が連続し、福1だけでなく、福島第2発電所も、東海村の原発も運転員が放棄せざるを得ないような大事故ということです。

冷却用の全電源喪失に至ったとき、現場運転員の共通認識は「とにかく冷却水を入れて冷やす」ことだったようで、当直の運転員の人たちは震災(津波)後の極初期の段階で水を炉内にいれるためのラインを必死で工作しています。
また、吉田所長は消防ポンプを直列につないでの送水が必要になることを予見し、事故直後から自衛隊や関係機関に消防ポンプの出動を要請し、これが実際に冷却作業で最大の功を奏しています。

「闘う武器がなんにも無いときでもあきらめない」現場の底力というものを感じました。

いまこうやって、FBであれこれ書くことができるのも彼ら運転員・作業員の献身的な努力があったからこそです。
彼らの努力の上に、この震災後2年弱の極めてもろい「安定」が保たれているにすぎません。

いわば捨て身の「時間かせぎ」。

福一の現状は全然収束していないうえに、4号炉の使用済み核燃料棒プールのキケンさも震災直後からいっこうに改善されていません。手がつけられないのです。
現時点でまた大きな地震があったら、「東日本壊滅」の状況はそのままなのです。

いま、総選挙で原発の扱いが焦点の一つになっていますが、ともすれば原発の事故を「隠そう」とか、「あれは終わったこと」にしたいといった原発推進者・大手マスコミの目くらましに騙されないで、賢明な選択をしてもらいたい と思います。

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528Hz

528Hzの音のファイルを作って、と長男に頼んだら1分でできた528Hzの音(正弦波)です。
これで放射能で傷ついた遺伝子が癒されるの???


「528Hz.mp3」をダウンロード

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剣岳登山

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剣岳登山

  2012年8月28-30日

剣岳登山にいきました。
各写真はクリックすると拡大します。
↓コース図です

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28日 室堂~立山縦走~剣沢(キャンプ)
29日 剣沢~剣岳往復~剣沢(キャンプ)
30日 剣沢~剣沢雪渓~真砂沢小屋~ハシゴ谷乗越~内蔵助平~黒4ダム
という行程。一緒に行ったのはKWVCの31年後輩!!の佐野くん。
大阪在住の佐野くんと、立山室堂ターミナルに集合して、一緒に立山三山縦走と剣岳登山を楽しみました

あとで文章を書くので、とりあえず写真だけUPしておきます。

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↑ 室堂にて

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↑ 一の越に向かう途中

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↑ 雄山神社

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↑雄山の一等三角点


大汝山頂→ 3年ぶりです2012_8_2830_023 2012_8_2830_032
↑ 別山山頂 背景は剣岳

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↑ 剣御前


↓ 剣岳 です。
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29日
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↑ 剣沢のキャンプ場より見た剣御前の朝

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↑ 剣山荘付近から 鹿島槍

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↑ 前剣の風景

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後ろは富山湾 能登半島も見えました

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↑ カニのタテバイ 付近の岩場

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↑ カニのタテバイを登る佐野くん

↓ ついに剣岳登頂

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↓ 山頂はガスってましたが、ちょっと鹿島槍も見えました
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赤い靴紐

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下山開始です
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↑ カニのヨコバイ

↓ その下のハシゴ
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↓ 富山県警の山岳救助隊です。一仕事終えたところ

転落死:北アルプス・剱岳で60代女性死亡 /富山

毎日新聞 8月30日(木)16時55分配信

 29日午前8時半ごろ、北アルプス・剱岳(2999メートル)の頂上直下で、鎖を頼りに崖をたどる「カニのヨコバイ」を進んでいた女性が転落、約10メートル落下し頭を強く打つなどして死亡した。
 上市署によると、女性はバランスを崩して転落したらしい。60歳代とみられ、単独登山者で、同署は身元の確認を急いでいる。
 27日には岩手県の60歳代の女性2人が剱岳の下山中に転落し足や腰の骨を折る重傷を負うなど、剱岳登山者の遭難事故が相次いでいる。【成田有佳】

8月30日朝刊




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無事剣岳アタックは終了

30日 下山の日です。
剣沢キャンプサイトで佐野くんとお別れ。佐野君は室堂へ、僕は真砂沢小屋経由で黒4ダムへ下山
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朝の剣沢
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ここから単独行になります。 

剣沢小屋で教えてもらった剣沢雪渓の略図によるコース案内
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↓ 剣沢雪渓の写真数点

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↑ 真砂沢小屋

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↑ ハシゴ谷乗越から見た 針の木岳

↓ ハシゴ谷乗越付近から見た内蔵助平(くらのすけだいら)

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↓ 内蔵助平のハシゴ谷と内蔵助沢合流点

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↓ 黒部川本流 内蔵助谷出会い付近

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↓ 黒部川本流 下の廊下最上部らしい景色

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やっと黒部ダムが見えてきた
朝5時半に歩き出してから8時間、ちょっと足がヘロヘロになってきた。



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↓黒部川を渡って

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最後に黒部ダムの直下からダムの高さ約200Mを直登し、黒4ダムサイトにゴール(いかにも裏口みたいなゴールだ)
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「石油文明の次は何か」 備忘録

農文協からでている 「石油文明の次は何か」 という昭和56年発行の名著があります。人生の指針を決めた座右の一書

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余剰食糧をつくらない社会

... ここでもう一度、農業問題を考えなおしてみたい。農耕は家族の自給という意味では、家族の半日の労働で十分であると述べた。残りの労働は、サービスや工業に向けるということも述べた。
ところで、この残りの半日の労働を工業に向ける代わりに農業に使うということは、好ましいことなのかどうかを考えたい。

実は、これをしてはいけないのである。その結果は、農耕をしないでも食料にありつける消費者を温存することになり、この人たちの中から権力者が育つことになるからである。

つまり余剰食糧をつくって、分業を支え権力を導入して、人力文明などを志向することに協力することはない。各家族は、自分たちの食料だけを収穫し、飢饉用に保存した残りの余剰産物は収穫せず、そのまま畑で腐らせ、翌年の肥料にすればよいのである。食料に余剰が出そうなら働かないことである。これだけが権力に協力しない方法である。

つまりこの余剰食糧を、国家に提供するなどはもってのほかで、国家が食料の備蓄などをすれば確実に人々をいじめ、しかも戦争をおっぱじめるだけである。再び過去の文明の間違いをしてはならない


自然農に関する、僕の今の理解を自分の文章にしてみました。

皆さんよく勘違いされているのですが、肥料(化成肥料にしろ有機
質肥料にしろ)を撒いたら、植物の根がそれをちゅうちゅう吸って植物が大きくなるわけではないんです。
ざっくり言うと、撒かれた肥料は、微生物のエサになり、増殖した微生物の働きで宇宙からのエネルギーが取り込まれ、そのエネルギーで活性化した水が植物の根から吸収され、光合成作用と合わさって植物の細胞が構成される という流れのようです。
従って、農業における土つくりとは、微生物がなるべく多く(数も種類も)繁殖できる土中の状態をつくる・・・・つまり微生物が存在できるスキマ=空間を作るということです。
...
スキマをつくるとは・・・・具体的には、一番簡単な方法は耕すことですが、人為的に耕すという行為は芯を入れずに壁土を塗るようなもんで、耕した当初は土と土の間に間隙があるいのですが、雨が降ると崩れて固まってスキマがなくなってしまうことになります。

一方、自然農では草を刈るとき根は抜かずに、植物の地上部と根の接点を鎌で刈るように切ります。(強い雑草はそれでもしつこく再生しますが)

このとき地中に残された雑草の根は小動物(ミミズ ダニや微生物など)のエサとなりその食い跡は微細な毛細血管のようなスキマになります。このスキマは雨では崩れません。

ということで、不耕起を続けていくと、地中のスキマは年々精妙に育っていき、空気・水を通しやすくなり、微生物の居場所が確保され、宇宙からのエネルギーがより多く取り込まれ、植物が自然に育つようになるわけです。

自然の山が肥料もやらないし耕さないのに年々木がしげり、数十年も放っておいたら素晴らしい天然林に育つのはこのような流れです

人為的に耕すという行為はこのスキマを人間自らが破壊しておいて、微生物が存在できる空間を無くし、微生物が減ったからという理由で、増やすために微生物のエサ=肥料を撒く ということになるので、最初から耕すことがなければ、肥料もやらなくて良いんです

つまり人類は農耕の歴史が始まって以来壮大なムダを続けてきたということになります。

ただし、たとえばニンジンや、稲の苗代 ネギの種まき床のような背の低い植物 幼い植物は雑草が繁茂していると日が当たらず育つことが出来ません。またそのような苗代などで雑草を取り去ろうとしたら雑草の根とともに作物も抜けてしまいます。そのような幼い作物を育てるときはやはりある程度耕した土で雑草にまけないように配慮しながら作物を育てなければならない。その辺の加減について、どの程度まで人が手をだしてやったほうが良いのか按配を知ることが、きっと農の醍醐味なんでしょうね。そしてその程度の作業に大層な耕運機はいりません。鍬で十分です。

一方耕運機・トラクターという機械もこの時代に100%否定してはいけない。

自然農の畑では最初に歩くところ(畝間)と作物を植える畝をしっかり整える必要がありますが、そのときには土を動かす作業が必要になる。休耕地の場合は宿根性の雑草や樹木の根がしっかり張っていて、鍬やスコップでは太刀打ちできない。そういう場合は機械を用いて耕運するのもOKだと思っています。

「家庭菜園」が「家庭農園」になるとき

家庭農園というコトバがふと頭をよぎった。
家庭菜園というコトバは普及したコトバだが、これからの
時代に安全安心に「食べて」いくためには、できるがけ多くの人が家庭農園をめざすべきだと思う。
「都会に住んでいるからそんなのムリだよ」なんて考えは捨てたほうが良い。今度の経済大津波はそんなに甘くない。都市文明を成り立たせているのは食料・物資の大量輸送だ。都市生活は潤滑な「輸送」によって成り立っている。そして「輸送」は金=マネーの「決済」があるからこそできる。
... ところが世界中でその「マネー」が決定的に腐り始めている。山のように発行された紙のマネーが、実は本当は価値のない「紙くず」だった、ということが世界規模でばれてきているのだ。
この紙くずに火がついたとき、世界中の金融システムは停止し、それは輸送の停滞・・・ひいては都市における「消費生活」の崩壊をもたらす。1990年代にハイパーインフレに陥ったロシアの市民のように、そして今まさにギリシャでも、人々はアテネの都市生活を捨て生まれ故郷に帰って「家庭農園」をやることによりサバイバルしようと動きだしている。

もう一度書く。
「都会に住んでいるからそんなのムリだよ」なんて考えは捨てたほうが良い。
都会での消費生活はもう終わり。THE END 。劇は終わりカーテンは下がりはじめている。今は薄暗い劇場の中から暖かい日差しの降り注ぐ屋外に出るときだ。


家庭菜園と家庭農園の違いは何か。
典型的な例えでいうと、「エダマメ」を食べるために大豆の種子を蒔くのが「家庭菜園」。「大豆」を収穫するために大豆の種子を蒔くのが「家庭農園」だ。
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    • 吉田 裕一 草を刈り倒し、畝の上に敷く。その草を掻き分けてポット苗を植えつける。敷き草は雨が直接地面を叩くのを防ぎ、次の雑草が生えるのを若干遅らせて(その間に大豆が根付いて生長をはじめる)、微生物。小動物の棲家・食料となって土に還っていく。
      6月22日 7:13 · · 1
    • 飯田 玲菊 都会でもその気になれば食料を作れますね。プランタでも野菜は作れます。土は生ごみ堆肥。プランタはできるだけ大きいものを。
      6月22日 7:29 ·
    • 林 芳弘 うちも借りれる畑面積が小さいので効率よく長期に収穫できること、若干の保存が出来ることを優先して植えています、かぼちゃなどは棚を作りツルは上をはわし下部に何か植えられないか検討中、地力との相談で株間をどれくらいに設定するかをシビアにやらないと無駄なスペ-スが多くなります、場所が多く必要なスイカだけはチョット手が出ません
      6月22日 7:37 · · 1
    • 吉田 裕一 飯田さん、都会の人もプランター菜園はどんどんやればいい思ってます。とてもいい勉強になる。ただ問題は面積が決定的に足りない、ということ。人間一人一年に(美食をしなくても)100坪くらいの土地から生み出される食品を食べて生きているのです。この「決定的な面積の不足」はいかんともしがたいです。
      いっぽう田舎の土地は高齢化でどんどん荒れ放題。都市から離れられる人はできるだけ離れて、別のライフスタイルをはじめるときにきています。僕は半歩先を歩む者としてその「別のライフスタイル」を発信し続けていく役目がある。だからこの種のことはしつこくしつこく書き続けます
      6月22日 7:45 · · 1
    • 飯田 玲菊 わかります、おっしゃっていること。だから都市と田舎のつながりも大切になります。どうぞよろしくお願いいたします。できない部分はお助けください。
      6月22日 7:47 · · 1
    • 吉田 裕一 林さん、時間差と作物の高低さをうまくくみあわせる努力がいります。遠山でも若干そういう取り組みは発信しています。かぼちゃの空中栽培、よいですね。下の半日陰で栽培日数が少なくてすむ葉もの野菜を是非!
      6月22日 7:49 ·
    • 影近 博己 良いコトバですね!
      普及させたいです。
      6月22日 8:09 ·
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      2012年 遠山郷 木沢熊野神社 霜月祭り

      2012年 遠山郷 木沢熊野神社 霜月祭り の記録です

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      11月22日ー23日 イベント信州のたまり場 開催

      久しぶりの記事更新です。
      11月22-23日に「山小屋」において下記のイベントを企画しています。詳しくはfacebookにて告知中ですが、現在7名参加予定で、楽しい集まりになりそうです。最近、本ブログは滅多に更新しないので、あまりこのブログを見られている方は少ないと思いますが、この記事をごらんになってこの「信州のたまり場」に参加してみたいというかたは、是非yuponまでメールあるいはコメントでお知らせください。
      ・・・・・・・・・・イベント 「信州のたまり場」 ご案内 ・・・・・・・・・・・・・・・
      開催日時 2011年11月22日PM6時 -23日
      これからの時代を声をかけあいながら、横に手をつないで乗り越えていくための仲間作りを長野県中信・北信地区で本格的に始動します・・・・まずは会って話して一杯やって・・・結論なんてでなくてもいい、そんな集まりをやりたいと思います。
      場所は大町市美麻にある「山小屋の会」山荘。そろそろ雪のたよりも聞かれる季節になると思うので薪ストーブ焚いて、炉辺炭火焼き+鍋で温まりましょう。

      いちおう22日夕方6時に大町市美麻の道の駅「ぽかぽかランド美麻」に集合。軽く温泉で温まってからPM7時ころより「山小屋の会」山荘(ぽかぽかランド美麻から車で3分)で飲み会。時間は無制限。山荘には泊まれるので、酒飲んで帰れない人は泊まりもOK。ちょこっと話だけしてお帰りになるのも自由です。イベント終了時間はこの掲示では22時としておきましたが、成り行きです。

      ... 食材・飲料は持ち寄りです。僕も自家野菜や食材・アルコール飲料を持参します。

      参加ご希望のかたは、吉田裕一までご連絡ください。詳しい場所などご案内します。yupon5987@ybb.ne.jpまでメールください。「信州のたまり場」というタイトルでメールしてください。

      なお、翌日23日に吉田の自宅(セルフビルドで建築+自給用自然農の畑)の見学をしたいかたはご案内します。山小屋の会山荘から車で40分。北安曇郡池田町です。
      ヒマと余力のある方は(天気がよければ)農作業もやりますので農作業に参加ください。(農作業に参加の方はキャベツ・白菜などお土産つきです)

      参加費(山荘利用料・光熱費)
      日帰りの方;1000円
      泊まりのかた;2000円 
      他に差し入れ・持込以外の共通利用の食材費などは実費でワリカンにします。

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