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「石油文明の次は何か」 備忘録

農文協からでている 「石油文明の次は何か」 という昭和56年発行の名著があります。人生の指針を決めた座右の一書

p200
余剰食糧をつくらない社会

... ここでもう一度、農業問題を考えなおしてみたい。農耕は家族の自給という意味では、家族の半日の労働で十分であると述べた。残りの労働は、サービスや工業に向けるということも述べた。
ところで、この残りの半日の労働を工業に向ける代わりに農業に使うということは、好ましいことなのかどうかを考えたい。

実は、これをしてはいけないのである。その結果は、農耕をしないでも食料にありつける消費者を温存することになり、この人たちの中から権力者が育つことになるからである。

つまり余剰食糧をつくって、分業を支え権力を導入して、人力文明などを志向することに協力することはない。各家族は、自分たちの食料だけを収穫し、飢饉用に保存した残りの余剰産物は収穫せず、そのまま畑で腐らせ、翌年の肥料にすればよいのである。食料に余剰が出そうなら働かないことである。これだけが権力に協力しない方法である。

つまりこの余剰食糧を、国家に提供するなどはもってのほかで、国家が食料の備蓄などをすれば確実に人々をいじめ、しかも戦争をおっぱじめるだけである。再び過去の文明の間違いをしてはならない


自然農に関する、僕の今の理解を自分の文章にしてみました。

皆さんよく勘違いされているのですが、肥料(化成肥料にしろ有機
質肥料にしろ)を撒いたら、植物の根がそれをちゅうちゅう吸って植物が大きくなるわけではないんです。
ざっくり言うと、撒かれた肥料は、微生物のエサになり、増殖した微生物の働きで宇宙からのエネルギーが取り込まれ、そのエネルギーで活性化した水が植物の根から吸収され、光合成作用と合わさって植物の細胞が構成される という流れのようです。
従って、農業における土つくりとは、微生物がなるべく多く(数も種類も)繁殖できる土中の状態をつくる・・・・つまり微生物が存在できるスキマ=空間を作るということです。
...
スキマをつくるとは・・・・具体的には、一番簡単な方法は耕すことですが、人為的に耕すという行為は芯を入れずに壁土を塗るようなもんで、耕した当初は土と土の間に間隙があるいのですが、雨が降ると崩れて固まってスキマがなくなってしまうことになります。

一方、自然農では草を刈るとき根は抜かずに、植物の地上部と根の接点を鎌で刈るように切ります。(強い雑草はそれでもしつこく再生しますが)

このとき地中に残された雑草の根は小動物(ミミズ ダニや微生物など)のエサとなりその食い跡は微細な毛細血管のようなスキマになります。このスキマは雨では崩れません。

ということで、不耕起を続けていくと、地中のスキマは年々精妙に育っていき、空気・水を通しやすくなり、微生物の居場所が確保され、宇宙からのエネルギーがより多く取り込まれ、植物が自然に育つようになるわけです。

自然の山が肥料もやらないし耕さないのに年々木がしげり、数十年も放っておいたら素晴らしい天然林に育つのはこのような流れです

人為的に耕すという行為はこのスキマを人間自らが破壊しておいて、微生物が存在できる空間を無くし、微生物が減ったからという理由で、増やすために微生物のエサ=肥料を撒く ということになるので、最初から耕すことがなければ、肥料もやらなくて良いんです

つまり人類は農耕の歴史が始まって以来壮大なムダを続けてきたということになります。

ただし、たとえばニンジンや、稲の苗代 ネギの種まき床のような背の低い植物 幼い植物は雑草が繁茂していると日が当たらず育つことが出来ません。またそのような苗代などで雑草を取り去ろうとしたら雑草の根とともに作物も抜けてしまいます。そのような幼い作物を育てるときはやはりある程度耕した土で雑草にまけないように配慮しながら作物を育てなければならない。その辺の加減について、どの程度まで人が手をだしてやったほうが良いのか按配を知ることが、きっと農の醍醐味なんでしょうね。そしてその程度の作業に大層な耕運機はいりません。鍬で十分です。

一方耕運機・トラクターという機械もこの時代に100%否定してはいけない。

自然農の畑では最初に歩くところ(畝間)と作物を植える畝をしっかり整える必要がありますが、そのときには土を動かす作業が必要になる。休耕地の場合は宿根性の雑草や樹木の根がしっかり張っていて、鍬やスコップでは太刀打ちできない。そういう場合は機械を用いて耕運するのもOKだと思っています。

「家庭菜園」が「家庭農園」になるとき

家庭農園というコトバがふと頭をよぎった。
家庭菜園というコトバは普及したコトバだが、これからの
時代に安全安心に「食べて」いくためには、できるがけ多くの人が家庭農園をめざすべきだと思う。
「都会に住んでいるからそんなのムリだよ」なんて考えは捨てたほうが良い。今度の経済大津波はそんなに甘くない。都市文明を成り立たせているのは食料・物資の大量輸送だ。都市生活は潤滑な「輸送」によって成り立っている。そして「輸送」は金=マネーの「決済」があるからこそできる。
... ところが世界中でその「マネー」が決定的に腐り始めている。山のように発行された紙のマネーが、実は本当は価値のない「紙くず」だった、ということが世界規模でばれてきているのだ。
この紙くずに火がついたとき、世界中の金融システムは停止し、それは輸送の停滞・・・ひいては都市における「消費生活」の崩壊をもたらす。1990年代にハイパーインフレに陥ったロシアの市民のように、そして今まさにギリシャでも、人々はアテネの都市生活を捨て生まれ故郷に帰って「家庭農園」をやることによりサバイバルしようと動きだしている。

もう一度書く。
「都会に住んでいるからそんなのムリだよ」なんて考えは捨てたほうが良い。
都会での消費生活はもう終わり。THE END 。劇は終わりカーテンは下がりはじめている。今は薄暗い劇場の中から暖かい日差しの降り注ぐ屋外に出るときだ。


家庭菜園と家庭農園の違いは何か。
典型的な例えでいうと、「エダマメ」を食べるために大豆の種子を蒔くのが「家庭菜園」。「大豆」を収穫するために大豆の種子を蒔くのが「家庭農園」だ。
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    • 吉田 裕一 草を刈り倒し、畝の上に敷く。その草を掻き分けてポット苗を植えつける。敷き草は雨が直接地面を叩くのを防ぎ、次の雑草が生えるのを若干遅らせて(その間に大豆が根付いて生長をはじめる)、微生物。小動物の棲家・食料となって土に還っていく。
      6月22日 7:13 · · 1
    • 飯田 玲菊 都会でもその気になれば食料を作れますね。プランタでも野菜は作れます。土は生ごみ堆肥。プランタはできるだけ大きいものを。
      6月22日 7:29 ·
    • 林 芳弘 うちも借りれる畑面積が小さいので効率よく長期に収穫できること、若干の保存が出来ることを優先して植えています、かぼちゃなどは棚を作りツルは上をはわし下部に何か植えられないか検討中、地力との相談で株間をどれくらいに設定するかをシビアにやらないと無駄なスペ-スが多くなります、場所が多く必要なスイカだけはチョット手が出ません
      6月22日 7:37 · · 1
    • 吉田 裕一 飯田さん、都会の人もプランター菜園はどんどんやればいい思ってます。とてもいい勉強になる。ただ問題は面積が決定的に足りない、ということ。人間一人一年に(美食をしなくても)100坪くらいの土地から生み出される食品を食べて生きているのです。この「決定的な面積の不足」はいかんともしがたいです。
      いっぽう田舎の土地は高齢化でどんどん荒れ放題。都市から離れられる人はできるだけ離れて、別のライフスタイルをはじめるときにきています。僕は半歩先を歩む者としてその「別のライフスタイル」を発信し続けていく役目がある。だからこの種のことはしつこくしつこく書き続けます
      6月22日 7:45 · · 1
    • 飯田 玲菊 わかります、おっしゃっていること。だから都市と田舎のつながりも大切になります。どうぞよろしくお願いいたします。できない部分はお助けください。
      6月22日 7:47 · · 1
    • 吉田 裕一 林さん、時間差と作物の高低さをうまくくみあわせる努力がいります。遠山でも若干そういう取り組みは発信しています。かぼちゃの空中栽培、よいですね。下の半日陰で栽培日数が少なくてすむ葉もの野菜を是非!
      6月22日 7:49 ·
    • 影近 博己 良いコトバですね!
      普及させたいです。
      6月22日 8:09 ·
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      コメント

      お邪魔いたします♪ 上記本購入に際し寄らせていただきました。サービス農耕は甘やかしになり!とのこと。なるほどと、思いました(°_°) どうやら同じアンテナを所望のようですね。。嬉しいです♪

      投稿: chizu | 2013年3月 3日 (日) 21時41分

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